LOST
 重苦しい闇の中で必死に手を伸ばす。
 どこへ向かって?
 何に向かって?
 その答えも得られぬまま、俺はただがむしゃらに何かを掴もうともがき続けた。

「……ってくれ」
 唇が頼りなげな言葉を紡ぐのを自覚した瞬間、俺はまとわりつくまどろみを削いで一気に覚醒した。首筋を、わき腹を伝い落ちる嫌な汗。浅い呼吸を何度か繰り返し、乾燥してひりと焼け付いた喉にごくりと一度唾を流し込む。
「夢、か」
 未だ余韻を引きずって激しく打つ心臓。かすれた声で呟き、次第に拍動が落ち着いてくると、長い息を()いて見上げた先をぼんやりと見つめた。
 徐々に明るさを増していく天井、それは夜が明けようとしているしるしだ。すべてを一緒くたに飲み込む夜から、すべてを明るみに描き出す昼へ。その間隙に満ちるしんと張った空気とやさしい光。気だるい身体を仰向けたまま、宙に浮く埃の動きをなんとなしに追っていると、ふと小さな疑問が脳の片隅に点った。
 俺は……さっきまで一体何の夢を見ていたんだ?
 目覚めの直前まで鮮明に匂い立っていた世界、それが今はどうしても思い出せない。直後胸にのしかかるどんよりとした重みと、鈍化し白濁とした思考回路を覚り、にわかに湧いた心許なさに思わず顔を横に向ける。
 しかし目に入った光景に、容赦ない現実を思い知った。

 白いシーツの上、いつものように横に伸ばしていた右腕。
 そこに毎朝感じていたはずの重み、触れていたぬくもり。
 そうしてじきに目覚め、窓から差し込む朝日の中で「おはよう」とはにかむ顔――無意識下ですがったそれらすべてが、今はこの部屋のどこにも見当たらない。


 その瞬間、夢も現もすべてがありありと蘇った。


 ……ああ、そうか。

 俺は失ったのだ。
 狂おしく、夢の中でまでも求めていたはずの安寧を。
 己の傲慢ゆえ、二度と届かぬ世の果てに。


 そんな絶望的な思いを助長する、空になった右手が掴んだシーツの冷たさ。
 途端窓の向こうの朝日を映す瞳は焼かれ、漣立つ悲哀がひとつの雫となって頬を流れ落ちる。


 それは愚かな一人の男に、決して癒えることのない渇きと永遠の孤独を知らしめた。


(400字詰め原稿用紙換算 4枚)


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