クロゼットの甘い錯覚
「おかしいわよ」
「何が」
「ありえない」
「だから何が」
「これよ」
 よく晴れた土曜日の朝、びしっと右手で指さしたクロゼット。
 あまりの覇気に、ワイシャツに袖を通していた彼が怪訝な顔をこちらに向ける。
「……で?」
「『で?』じゃないわよ。どう考えたっておかしいでしょこれはっ」
 2年前に越してきたこの部屋は、2DKにクロゼット付きという物件で、新米OLの一人暮らしには広すぎるくらいのスペースが確保されているはずだった……のだが。
 いつの間にかクロゼットから溢れて、そこここに置かれている服やら小物。
「んなことどーでもいいから、そこのネクタイ取って」
「どうでもよくないっ! なんなのこの散らかりようは!」
 そしてテーブルの回りに増殖する菓子袋を見やってげんなりする。
「ああ、そいつは夕べ帰りに買ってきたやつでさ、うまいんだぜ」
 向けられた冷たい視線に気づいているのかいないのか。故意に逆撫でしているとしか思えない絶妙なタイミングで飛んだ補足に、足元の袋を取り上げつつわなわなと肩を震わせる。
「そーゆー問題じゃない! なんで、いつの間に、こんなに物が増えたのかって聞いてんの!」
「……何を今更」
 理解に苦しむとばかりに、彼は小さく息を吐くと自分でネクタイを拾い上げ首に巻きながら言う。
「なんで増えてるかって、そりゃ二人分あるからに決まってるじゃねぇかよ」
「は?」
「シャツもカップも歯ブラシも、食いモンだって全部二人前だろ。分かりきったことじゃねーか」
 改めて言われはっとする。
 一つ部屋の中、生活している人間が増えれば、身の回りの物が何でも二倍になるのは当たり前のこと。
「要するにそういう関係になったってことだろ」
 そのひとことに、怒りがすうっと引っ込んで代わりに顔が赤くなる。
 至極単純な理由。思わぬ反撃を受けて言葉を失ったその間に、彼はジャケットを手に取るとこちらに歩み寄ってきた。
「面白ぇだろ? 一人だったらありえねぇものが、いろいろ部屋に転がってんだぜ」
 部屋の隅に置いた洗濯籠にちらと視線を流し、にやっと笑うと不意に唇を重ねてくる。
「んじゃ、気張ってくるわ」
 そうして扉が閉まる音とともに我に返ると、慌ててベランダに走って外を見下ろす。
 じきにマンションの入り口から出てきた彼は、こちらを見上げて足を止めると大きく手を振って叫んできた。
「モノが溢れても困らないぐらいの家を、いつか買ってやっからよ。それまで辛抱して掃除してくれや!」
 向けられた屈託のない笑顔にどきりとし、直後反芻して気付く。
「結局掃除はアタシがやんのかっ!」
 遠ざかり通りの人込みに紛れていく背中に、まるで詐欺に遭ったような気持ちでがっくりと肩を下ろす。そうして部屋に取り返しつつ、持ったままだった袋に手を突っ込むと中身をひとつ取り出して口に放り込んだ。
「……ん、確かにイケる」
 一人なら絶対に手を出さないだろうパーティーサイズの菓子をしばし見つめ、結局納得させられてしまった自分にため息をつく。
「仕方ないわね」
 約束を守ってもらうまでだと腹をくくると、鼻息も荒く腕まくりをして一歩を踏み出す。


 おりしも今日は晴天。

 絶好のお掃除日和じゃないの。


(400字詰め原稿用紙換算 6枚)


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